写真そのものと対峙する

一葉(一群でもいいよ)の写真が眼の前にある。


女性か男性か、年齢はいくつくらいか、どこに住んでいるのかなどの撮影者の情報は隠されている。


おまけにその写真はネット上にあり、美術館やギャラリーという何らかの判断を招く装置からも離されている。


言ってみれば写真そのものと対峙するしかない状況の中で、その写真が自分の好きな写真か、上手な写真かなどを判断するわけだ。


ここで写真を見る人は自分の眼力を頼んで判断するのだが、その時骨董屋さん的トレーニング(いいものをたくさん見るなど=写真評論家的見地)から離れていけば写真は面白くなるのではないかと思っている。