写真の四福音書

f:id:tiheisen1839:20211105174832j:plain

写真の四福音書

 

この章のタイトルは写真の伝道者のことなのだろうか、それとも教会システムならぬ、写真システムを作り上げた人たちととそのシステムいうことなんだろうか。
写真が確立されたものに成ってゆく過程、言い換えれば写真における美術館システム(写真は芸術か否か、云々)への論評。まぁ、写真家にはあまりパトロンがつかないのかを考えると、絵画のように一点ものでないことや再販価格など市場性に問題(私たちにはあまり関係はなく、どうでもいい話としても)になるのだろう。


また、ソンタグは(写真はそもそも芸術形式などでは全くないP151)と述べていて、その理由が(写真はメディアである)であるとしているが、もしそうであるならば絵画も音楽も芸術ではなくなってしまうだろう。
この章もバラバラ感はあるものの、コラムとして読むと刺激的で楽しめました。
困ってしまうほど写真がかんたんに写せること、何げなく撮ったものでもカメラの結果は必然的に権威をもつことは、およそ知ることとは縁遠いことを暗示している。p121


写真が一般に評価されるときの言葉はきわめて貧弱である。構図、明るい部分など、絵画の語彙に寄生していることがもある。写真がうまいとかおもしろい、力がある、複雑だ、単純だ、あるいは--好んで言われる--うそのように単純だといって褒められるときのように、およそ漠然とした判断からなることの方が多い。p143

スーザン・ソンタグ 写真論を読む (再掲)