写真の評価(2015年に書いたメモ)
写真のよしあしやスキ・キライを判断する基準は私自身である他ないけれど、それを外部に伝えるときには、その判断基準を担保するものが必要となる。
判断(評価)することは、一人でぼそぼそと写真を撮っている私の写真行為であっても欠かせないものである。自己満足できればそれで良いといっても、、評価、判断することがなければ、自分の眼を養うこともできず、次の何処かに行けない。
そして、判断をサポートするものはトレーニングであったり、対話することであったりするけれど、それ以前に展示したり、話したり、書いたりすることばがちゃんと人に伝わるように意識することが必要になる。
そして、さらなる体力、眼力強化をのぞむならば、外から見てもらう(評価・批評)が欠かせないものとなる。