普通の人が読める写真評論

カメラ君とデジおじさんの対話

 
カ 普通に写真を撮っている人は、写真とはなんだろうというような答えの出ない問いを問うより、いかにすれば自分の写真表現ができるかを問うことの方が生産的だと人が多い中で、写真評論家はどんな役割を担っているのですか。


デ 哲学者の永井均さんによれば「音楽を味わうことの専門家は、そういう好みのちがいはあっても、そういう好みのちがいが、なにを意味するのかってことに関する考えを持っていて、それを言葉で言うことができるんだよ」P49子どものための哲学対話 だそうです。
また、そういう専門的なことだけではなく、写真展などで作家さんの親族や知人の方が見に来られて、よく分からないと戸惑っておられる場面を目にしますが、このよく分からない層に向けて、写真を見る手引きをすることのできる、写真の専門家が写真評論家だと言えないこともないでしょう。


カ そうはいっても、写真評論家さんの文章は寿限無のような読めないものや、雑なインプレッションのようなものが多いような気がしますが、その辺りはどうなんでしょうか。


デ おそらく市場性のなさが第一の要因だろうと思います。写真雑誌も減ってきているようですし、誰でも簡便に写真を撮れる時代になって写真メディアが衰退してゆくのはなかなか面白い現象だと思います。


どなたかがいまの時代の「複製技術時代の芸術」、つまりまともな「スマホ時代の大量生産写真」を書いていただくことが、写真の世界を豊かにすることになり、面白くもない業界内のインプレッションや適当評論だけではなく、いろいろな世間の人がちゃんと読める写真評論が求められているのではないでしょうか。