駄写真

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□駄写真は可能か


私は自分の写真を駄写真だとおもっている。まあ、ほとんどはただの謙遜なんですけれど、駄菓子菓子
駄洒落のような写真を撮ってみたいとは思っているので、そういうふうなジャンルもありかなとも思っています。


□なぜ、駄写真は難しいのか


駄美術であれば、一応はファインアートやハイカルチャーへのカウンターとして存在するといっていいと思われますが、残念ながら写真には駄写真家が対抗すべき確立されたシステムはなさそうです。
写真はあまねく老若男女、あらゆる世界に遍在するため、底辺が広すぎて制度的な権威として存在することが難しいもののようで、私はとても面白いと思いますが、写真(表現)の高みを目指す人にはしんどい世界だと思います。


写真を商う業界規模がどれほどあるのかは存じ上げませんが(カメラの販売データはありますが、写真販売や愛好家のデータは見たことがありません。)画商が片手間に商うくらいしか扱いがないのが現実のような気がしますが、どうなんでしょう。


それと関係ないようなあるような話なんですけれど、アサヒカメラが休刊になるそうなのですが、この雑誌(メディア)が何だかよくわからない権威付け以外に、作家育成(少なくとも木村伊兵衛賞受賞作家)や写真文化(そんなものがあるとして)に寄与していないようなのは寂しい話です。


写真の底辺はすでに広がるだけ広がっているので、並み俳句、月並み写真の何が悪いんだというところから、自己に沈潜し駄写真を量産して、より深い自己満足にひたるために自覚的に写真を撮る、駄写真作家を目指して行きます。


□何が言いたいんだ。


これからも好きなように写真を撮り続けるという勝手な宣言のようなものです。深い意味はありません。

駄文失礼いたしました。