何を写して見せても、どのように写して見せても、写真そのものはつねに目に見えない、人が見るのは志向対象(被写体)であって、写真そのものではないのである。 バルト
「写真」というのはことば(概念)だから、見えなくて当たり前という話でしかない。まあカントさん流に言うと「概念から存在を導くことはできない」ということなんでしょう。
おそらく被写体はこの世に「存在」するものだから眼に見えるといったことであり、ようするに写真はメディア(媒体)であるということに落ち着くのだろう。
何を写して見せても、どのように写して見せても、写真そのものはつねに目に見えない、人が見るのは志向対象(被写体)であって、写真そのものではないのである。 バルト
「写真」というのはことば(概念)だから、見えなくて当たり前という話でしかない。まあカントさん流に言うと「概念から存在を導くことはできない」ということなんでしょう。
おそらく被写体はこの世に「存在」するものだから眼に見えるといったことであり、ようするに写真はメディア(媒体)であるということに落ち着くのだろう。