11 「ストゥディウム」
「写真家」の神話は、もちろん「写真」を社会と和解させる(神話とは、そうした和解の役割をもつものなのである)ことを目指して(これは必要なことなのか?―もちろん必要なことである。「写真」は危険なものだからである)、「写真」に種々の機能を負わせ、「写真家」はそれをアリバイとして利用する。それらの機能とは、知らせること、表象=再現すること、不意にとらえること、意味すること、欲望をかきたてることである。p41
バルト自身の「ストゥディウム」の定義。
12 知らせること
「写真」は純粋に偶発的なものであり、またそのようなものでしかありえない(そこにはつねにある何ものかが写っている)--これに反してテキストはただ一つの語のとつぜんの働きによって、一個の文の内容を記述から意見へと変えることができる--ので、「写真」はただちに、民俗学的な知の素材そのものをなすあの<細かな事実を>伝達する。p42
まだ半分にも行っていませんが、同じようなことばかり繰り返し書いてあり、飽きてしまったのでこれで終了です。