8 鷹揚な現象学
「観客」としての私は、ただ≪感情≫によってしか「写真」に関心を寄せなかった。私は「写真」を、一つの問題(一つの主題)としてではなく、心の傷のようなものとして掘り下げたいと思っていた。私は見る、私は感ずる、ゆえに私は気づき、見つめ、考えるのである。p34
写真を見る視座の確認、自分が見て、感じたことから始めるという宣言のようなもの。
9 二重性
この写真が私の気に入ったとか、関心を引いたとか、好奇心をそそったとかいうのではない。ただ、この写真は(私にとっては)存在していた。p35
バルトの見た写真の分析(解釈)、だからどうだ(と言ってはいけないのは承知しておりますが)という話です。
10 「ストゥディウム」と「プンクトゥム」
ストゥディウム(studium) 一般的関心
私が人物像に、表情に、身振りに、背景に、行為に共感するのは、教養文化を通じてだからである。(ストゥディウムのうちには、それが文化的なものであるという共示的意味が含まれているのである)。p38
プンクトゥム(punctum) 刺し傷
ある写真のプンクトゥムとはその写真のうちにあって私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。P39
写真一般というものはなく、<私>の写真があるということなんだろうけれど、哲学者らしいうだうだくどいなぁ という印象。