2021-01-01から1年間の記事一覧
素敵なダイナマイトスキャンダル 末井昭 僕は、写真がよく分からなかった。「あの人は写真がよく分かっている」なんて言うのを耳にして、写真が分かる、分からない、ということはどういうことなのだろうと考えた。結局、言葉なのだった。写真を見て、そこか…
SNSで拾った今日の名言 売れているのが良いもんなら、世界一うまいラーメンはカップラーメンだ 甲本ヒロト
それで、カメラをもって憤然と立ち上がったわたしは、 「押せば写るカメラ」で意識的に「写そう」としたのである。 「押す」だけではじつはなにも写らないと知ったからである。 写真の時代 富岡多恵子 筑摩叢書版あとがきにかえて
「フランシス・ベーコンの秘密 バリー・ジュール・コレクション」 20世紀で最も重要な画家の一人とされるフランシス・ベーコン。その死の直前に、千点を超える作品群が、親しかった友人バリー・ジュール氏に秘密裏に託された。それは、生前の「ドローイン…
写真の謎 「野良猫を尊敬した日」所収 穂村 弘 (再掲載) とても短いものだが、かなり強烈な時代意識を持っていないと書けない文章だと思った。 「毎日を生きる上では不都合極まりない、そんな(無垢な)眼差しを束の間得ることに、我々が奇妙なときめきを…
現代写真論 新版 シャーロット・コットン (2018年記載分の再掲載) ピックアップされた写真、というより写真家の紹介として添えられている文章は、情報というより表層的なインプレッション(ただの感想)なので、その写真をより深く読むためのガイドと…
撮ることの豊かさと、見る(写真を読む)ことの貧しさの段差。見ればわかる(と思い込む)写真をわざわざ語ることの意義を理解することはなかなか難しく、写真評論を読む人の物理的な薄さも加わって、面白く読める写真評論は少ない。まあ、出来損ないの写真…
写真の教科書的な本がないなぁと思っていたが、無くて当たり前なのかもしれないと考え直した、なぜなら写真もアートも自分の写真やアートがあるだけで、その他のいろいろな写真やアートは、あってもいいけれどそれをどう見るかを教科書的に説明してもらって…
カプリの牧人 西脇順三郎 春の朝でも我がシシリヤのパイプは秋の音がする幾千年の思いをたどり
帰ろうよ 吉増剛造 歓びは日に日に遠ざかるおまえが一生のあいだに見た歓びをかぞえあげてみるがよい歓びはとうてい誤解と見あやまりのかげに咲く花であったどす黒くなった畳のうえで一個のドンブリの縁をそっとさすりながら見も知らぬ神の横顔を予想したり…
モノクロ写真とカラー写真のあいだには深くて渡れぬ川は流れていないのではないかと、森山大道さんのカラーColorというカラー写真の写真集(森山大道そのものの写真だった)を見て思った。
「人々」 エフトゥシェンコ つまらぬ人間などこの世にいない 人間の運命は星の歴史に等しいもの 一つ一つの運命が、まったく非凡で独特で、 それに似ている星はない たとえだれかが目だたず生きて、 その目だたなさになじんでいても、 人々の中で、おもしろ…
武士道の極意とはいらんところへ行くな、いらんことをするな、いらんことを言うなだそうだが。書くことがないとついいらんことを書いてしまいそうである。もっとも吉田さんも言うように物言わぬは腹ふくるるわざなりでもあり、バランスが難しい。
「哲学上の疑いにとらわれている人は、部屋の中にとじこめられて、どういう風にして抜け出せばよいかわからない人に似ている。窓から抜け出そうとしても窓は高すぎる。煙突は狭すぎて出られない。 そういうときに、もし180度うしろを向くと、ドアがはじめ…
何かの役に立とうなどという雑念を捨てて、役立たずの写真を撮りまくろう。
わかりたい 再掲 モノクロ写真とカラー写真のあいだには深くて渡れぬ川は流れてはいない。モノクロであろうとカラーであろうと、フイルムであろうとデジタルであろうと、写真の本質は変わらない。で、写真の本質とは何だといういうことだが、そんなものがわ…
世の中にはお化けや幽霊を見ることのできる人がいるのだから、常人には見えない世界を写し取る写真家がいても不思議ではないが(たぶんそんな話ではない?)、写真として撮られたその不思議な感覚の世界の存在を、自分のものとして感じられる人が結構な割合…
アートとは 稀有な才能を持つ人を大事にするにしても、アート(芸術や何やかやでもいいよ)は才能とかいろいろなものを持っ人のためだけのものではなく、そこら辺の人(お約束で一応言っておきますが私のことです。)がこの世の中を充実、充足して生きてゆく…
写真が美術から写実を解放したそうだが、写真は何を解放することができるのだろうか。
芸術とは なんであれ うまくやりおおせれば よいものである M.マクルーハン
写真に嘘があってもいいじゃないか マクルーハン風に言うと写真は眼の拡張と言いそうになりますが、そうではなくて写真は意識の拡張であり、メディアそのものということではないでしょうか。 つまり写真はカメラで書かれたことばだということです。ただ文章…
大阪ビジュアルアーツのエントランスホールに森山大道さんが宇多田ヒカルさんを撮った写真があった。さほど大きくない(四ッ切位?)モノクロームの写真で、著名歌手の写真だが、この写真は宇多田ヒカルの写真ではなく森山大道の写真だと感じられた。 スタイ…
自画像のゆくえ 森村泰昌 社会的似姿への転換 それまでの様々な業界のスター(世の中に知られている人たち)本人に似せるというものに行き詰まりを感じたのかどうかは知りませんが、社会そのもの(社会現象)に似せるもの、たとへば防衛省バルコニーの三島由…