パースペクティブ

 

カメラ君とデジおじさんの対話 2


カ  シャーカフスキーが挙げた五つの写真の構成要素の一つ「ものそれ自体」についてなんか述べよ。


デ 目とカメラという認識手段で世界を見るとき、それぞれの人が持つ視点(パースペクティブ)が現れるわけなんですが、それが結局のところ撮る人と見る人の在り様に帰結するというということなんでしょう。


カ なんのこっちゃという感じなんですが。


デ 禅語(和歌)の中に「手を打てば 鯉はえさと聞き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く 猿沢の池」というのがあります。一つの手を打つという行為がその立場、存在によって異なる反応を呼び起こすということなんです。


カ 禅問答ではなく、具体的に写真ではどう働くのですか。


デ アラーキーのいう「目をみがけ」と同じで、ものそのものをわたしがどう見るのかということだと思います。


圧縮していえばビアフラのハゲワシ写真問題、殺す側から撮るのか、殺される側から撮るのかという問題なので、いまここであなたとわたしはどのような視点(パースペクティブ)から写真を撮るのかという問いなのでしょう。

さらにグダグダと続くと思います。