もっとほめよう。
ビビアン・マイヤーのように日々写真を撮っている人もたくさんいるのだろうが、そのほとんどが表舞台には登場せずどこかに行ってしまうのが普通のことだろう。
ビビアン・マイヤーやアジェのように他にはない何かが写っている「写真」になっていることによって発見された時代は終わり、スマホ写真に代表されるわれわれの時代にはその膨大な量のこともあって、見えないところで大きな流れとなっているのだろうが、それは表には出ない恐ろしくでかい伏流水のようなものとして存在する。
金村某さんはこれらの写真をゴミと言っていたけれど、粗大ゴミとゴミを分別するのは一体誰なんでしょうね、タカザワケンジさんにでも相談してみてください。
まあ、とにかくメインストリームなんてないのだから、よしあしの評価などしょうがない、だから写真展であれ、SNSの写真であれ、自分の眼にとまった写真をもっと持ち上げてほめようではないか。