写真の見方

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写真の見方


□正しい見方はない


写真やアートの世界は見方や作り方に何らかの規範があるわけではない、いわば無法地帯だから、正義(正しい)の見方なぞは存在しない。


だからこそ、とりつく島を探すためにエスコートしてくれる評論家や手引きの本を探すことになる。


その頼みの綱の評論家の元になるものがなんであるかを考えると、その中心となるのはアートやら写真を長い間見てきた経験であることが多いだろう。
それは言うならば骨董屋さんの目利きと同じようなもので、間違いではないが世間に通用するスタンダード(写真の見方にそんなものがあるのか、また、必要かどうかは知らない)なものでもない。


現況では自分の好き嫌いでもなく、世間に流布している著名写真家のイメージをなぞることで、写真への道案内としているようなものが多いように思える。


評論家の皆さんがご自身の写真経験をいかに普遍化(ことばにすること)して伝えられかが課題となっているのだろう。


□方法


写真の世界をうまく、楽しく解釈するためには何らかの方法が必要だろう。
たとえば、写真論と古典となっている「写真論」のスーザン・ソンタグはテキスト(写真でも文章でも)を読み込み、分析し解釈するという文芸評論的手法をツールとして使用している。


もう一つ言えば「明るい部屋」のカール・バルトはいま見ている、この母親の写真がなぜ刺さってくるのかとという問い(哲学的問題)から入って、様々な要素を検討してゆくスタイルとなる。


コピペと思いつきだけでは深く(なくともいいけれど、面白くも楽しくもないのはあかん)世界に潜るのは難しい。