自問自答5
問い 月並み俳句ならぬ、月並み写真について。
答え 柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 さすが子規はすばらしい、秋の一日のイメージが目の前に広がるようだ。なんていいたくなってしまう。
そして、この句から子規の名と、露出量の多さという、いわばブランドの効果を排除すると、ありがたさに靄がかかってくるのはいたしかたないところである。
問い ここで月並み写真の量産者から
答え 何かの中毒症状に似ているのかもしれないが、街(でもどこでも)を歩いていて、眼に引っかかるものがあるとシャッターを押さずにはいられない。
そして、何らかのカメラを持っていないと、落ち着かず不安になるという、ある種の病気。
好きなものを、好きなように撮り、ほとんど競争原理の働かない写真活動は、ぬるま湯で気持ちがいいので困ったもんだ。
写真を撮る動機付けが自己満足で何が悪いと居直っても仕方がないし、ビビアン・マイヤーにはなれそうにもないので、世間を見ようと井戸の底からジャンプしてみるのも悪くない。
また、トレーニング方法として模写、臨書にあたるものを複写(嘘)というが、スタジオ撮影では可能かもしれないが、スナップではなかなか難しい。
アラーキーは表現者であるところの街を複写せよ、眼を磨けと述べているが、そういうことなんだろう。
一人で写真を始めた人は、評価の基準で戸惑うことが多いだろうと思う、写真教室へ通ったり、写真グループを作ったりするのもいいだろうが、写真をたくさん撮ってみて、その中から自分の気に入った写真を見つけることで、評価の基礎付けができるのではないだろうか。
問い 何が言いたいんだ
答え 名(権威)によりかからず、自分の評価軸を持とう、そのためには腕(技術)と頭(眼だ!!)のトレーニングが必要となるということだ。
だが,しかし、よりかからずなんて言い始めるのは、アタマもカラダも衰退してきている証左なんだろうなとも自分でも思う、今日この頃。
(再掲)