センスてなんだ

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センスてなんだ


・まず辞書を引いてみると。


センス 精選版日本語大辞典(ネットで拾った)
〘名〙 (sense) 人それぞれの内面にある感覚的なもので、感じ方、理解の仕方、あるいは表現の仕方に現われ出るもの。特に、ちょっとした行為や微妙な事柄についていう。「センスのある服装」「音楽的センス」など。
いろいろ引いてみると、センスの良い説明があるかもしれないが、まあ、こんなもんだろう。基本トートロジーになるのは致し方ない。
では、次に範囲をアート周辺に絞って、定義的なものを探してみよう。と思って、関連書籍を何冊かペラペラとめくったが都合の良い文章が見つからなかった。この部分に興味のある方は佐々木健一さんの「美学への招待」の第2章「センスのはなし」が参考になる。
そして、できの良いアート関連の入門書は「センス」とは書いてはいなくても、センス(美的感性)の考察となっている。


・センスの構成要素は


センスの源泉を掘ってゆくと、DNAレベルにまで行きつくなんてことはどうでもよくて我ら一般ピープルがセンスを考えるときの必要な構成要素といったものだ。
どうやらセンスはものを作るときににじみ出てくる、意識に振りかけたスパイスのようなもののような気がしてきた。
また、世の中で「センスが良い」と言われるものは、ルールに従ったほどほど感のあるもので、突き抜けてしまうと、一般常識レベルでは判断不能の存在になってしまう。それはダイアン・アーバスの写真をセンスの良い写真だとは恐ろしくて言えないという風なことだろう。


・ところで写真にセンスは必要か?


日本の弓道(道の探究)的な意識レベルの段階でいうと、センスがいいなんてことは初歩の初歩ということだろうし、あってもいいけれどなくても特に問題はないが、それは自分自身のためにアートや写真を作っているときで、お商売(お金)などが絡むと一筋縄ではいかないのがリアルな世界であるのが難儀なところ。
そしてセンスって結局のところ理性による合理的な「判断力」なのか。これは写真でいえば「選ぶ力」という面白くもない話となってくるのか。センスを組織化しトレーニングによって向上させるというバウハウス的な方法も教育メソッドとしては生きてくるが、個々の人間を対象とすると必要ないのか、等々の問を引きづっていったん休止。