アイリーン・美緒子・スミス氏インタビュー

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「入浴する智子と母」に関する写真使用をめぐって(転載させていただきました。)


「入浴する智子と母」は、私とユージンが1971から1974年まで、熊本県水俣市に住んでいた時に撮影した写真です。1971年12月、うすら寒い冬の日の午後、あの小さなお風呂場で智子ちゃんとお母様、ユージンと私の4人は、静まり返った固唾を飲むような緊張感の中写真を撮影し、そしてこのステートメントを世の中に送り出しました。この写真は、写真家ユージンが被写体であった母親と子に対し、自分の意思を一方的に主張しただけでは当然生み出されなかった写真です。

写真は、人に見られることによってパワーを持ち、ひとつの完成したイメージとなります。この写真は撮られてから現在に至る数十年の間、受け止めて下さった方々一人一人の力によって、常に繰り返し再生してこられたのです。

ユージンは、「自分は写真家として二つの責任がある」といつも言っていました。一つは被写体に対する責任、もう一つは写真を見る人々に対しての責任です。その二つの責任を果たせば、必然的に編集者・出版界に対する責任が果たされると言っていたのです。ユージンは "integrity" (清廉潔白であること)とそれを守るための頑固さをもっとも大切にしていました。

ユージンが主張するこの信念とその伝統を尊重するために、私は著作権者として、「入浴する智子と母」の写真を今後発行しないと決断したのです。そして、この決断は沢山の検討を重ねた上、慎重に、愛情を込めて行いました。

智子さんのご両親は、長女である智子さんのことを「宝子」と呼んでいました。魚の中に水銀という毒が入っていて、そうとは知らずに食べた人々の体内には水銀がたまっていました。母親にたまった水銀は、胎盤を経て子どもに入っていきます。智子さんが母親から毒を抜いてくれたのです。彼女のおかげで、その後生まれてきた5人の女の子と一人の男の子は、智子ちゃんのように水俣病に冒されませんでした。智子さんは「宝子」です。

写真は病気を治す薬でもなく、神様でもありません。「入浴する智子と母」の写真は世界中に発行・発信されていったにも関わらず、産業排水によりあの日本の海が汚染され、有機水銀に毒された結果起こってしまった智子ちゃんの病気は治せませんでした。

当時、水俣病に対する偏見は依然として強く、その偏見は今も続いています。そしてその偏見は家族にまで向けられました。結婚の話を困難にし、時には縁談の話しまでだめにしてきました。智子さんはそうした世の中が強いる環境の中、1976年、成人式を迎えて間もなく、妹や弟が大人になる少し前にこの世を去りました。

世界中から公害を無くしたいという智子さんのご両親のお気持ちは、何一つ変わっていません。「公害を撲滅したい」と今も仰っています。決して、「入浴する智子と母」の写真が世から完全に消えてしまうことを願っているのではありません。私もそうあって欲しいのです。

しかし智子さんが亡くなったあと、この写真は違う意味を持ち始めました。もう「智子」という一人の生きていく女の子、若い女性の写真ではなく、世界に向けて母と子の愛情を、そして公害の撲滅を表現、発信して行く存在へと変わりました。

正直なところ、私は智子さんが亡くなって以降、この写真の出版依頼に次々と応じるのは年々重荷になっていきました。私は自分に言い聞かせ続けました、「沢山の人がこの写真を見て、感動してきたのだ。ある人にとっては、ここに描かれたイメージによりその人の人生まで変えた写真なのだ。だから、私はこの写真を世の中に発信し続けなければいけないのだ。それが私の責務だ」と。

智子さんが亡くなって四半世紀が経った頃、ご両親が彼女を休ませてあげたいと思っていることがわかってきました。そして、「休ませてあげたい」とご両親は仰いました。私も同感でした。

この写真が智子さんを尊重しないのでは、この写真は無意味になってしまいます。智子さんとご家族の意思に反して発行され続けてしまうのなら、冒涜になってしまうのです。この写真は智子さんの命について語るステートメントであり、だからこそその命を尊重し、またそのことを通して亡き彼女の死を尊重する写真でなければならないのです。

また、著作権保持者として、私は写真を見る側に対する責任も果たさなければなりません。観る側の人々に偽ってはならないのです。この写真はこれ以上発行し続けるべきものではないという事実を隠しながら、いったいどうしてこの写真を出版することができるというのでしょうか。

では、写真界への影響はどうなのか?今後このように写真を出版しないと決めてしまうことは「危険な傾向」を促してしまうのではないか?私はそうではないと思います。なぜなら、この「入浴する智子と母」の写真に対する決定は著作権を放棄する行為ではなく、著作権を行使している行為だからです。

闘わなければいけない闘いがある。しかし、全てのケースはそれぞれ違う。どの闘いを闘うべきなのかを見極めなければならない。私がこの写真に対して取った決断は「写真」を弱めるものではなく、むしろ芸術であり、ジャーナリズムである「写真」というものに力を付けるものだと思います。

写真を撮られる側と見る側全ての人が、世に出る写真はだだ単に大量生産でまぐれに発行されたのではなく、慎重に判断された結果発行されたものだということに確信を持てれば、「写真」のもつパワーはどんどん高まり羽ばたいていくことでしょう。

私には、亡くなった智子さんがこの世界に存在する私たちを通して、「さあ、今度はあなた達の番です。この写真が伝えてきたこと、そしてそれ以上のことをあなた達のアートとジャーナリズムで伝えていってください。」と語りかけているような気がします。

たとえ写真家であれ、写真に関する仕事をしている者であれ、あるいは私のように違う方法でユージンの言いたかったことを引き継ごうと生きている者であれ、自分の目の前にあるテーマに取り組むことは、人間にとって偉大な行為です。

やらなければいけないことは沢山あります。一件「失われた」ように見えるこの「入浴する智子と母」の写真は、私たちの前に待ちかまえる大きな「仕事」に対し、勇気を与えてくれる存在なのです。

 

清里フォトアートミュージアム友の会・会報11号(2000年11月10日発行)より転載


──アイリーン・美緒子・スミス氏インタビュー──