判断を放棄するのは難しい

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今日は写真三昧の一日だった。自分の撮った写真と、人様の写真を大量と言い得るほどの量を見た。自分の写真は選択するために見たのだが、どのような基準で選んでいるのかは、いつもの様に判然としない。むろん選んでいるのだから判断している訳だが、それが綺麗にまとまっているから、被写体が好かったから、写真が爆発しているから等々あり、それは結局のところ今まで生きてきた過去の集成のようなものだろうが、これを言葉で説明できたらいいなとは思っている。
また、人様の写真を見せてもらうときは趣味・指向の領域で楽しめばいいだけなんだろうが、好き嫌いなども、自分の写真を見る時と同じ判断なのだからなかなか難儀なことではある。