写真史Ⅱ

中古カメラ市


いまもあるかどうかは定かではないが、以前(大昔の話だ)には定期的に中古カメラの市が立っていた。


黒門市場の近くに中古カメラらやフイルムを商う小さな店があった。何台かカメラを買ったり、修理をお願いするために通った。


その店の店主に欲しいカメラを市で買ったもらったり、カメラ関係の小物をもらったりした、また、町場のカメラ史をお聞きしたりするのも楽しみだった。

 

写真史1  カメラを買った

 

写真史1  カメラを買った


仕事先からの帰り道、ビジネス街の少し外れを歩いていると中古カメラ店があった、なんとなく覗いてみるとそのショーウィンドーにブラッククロームアサヒペンタックスK2DMDがあった。


姿が良かったのでカメラのことはよく分からず価格も忘れてしまったが、中古カメラを初めて購入した。50mmのF1.4レンズが付属していた。


DMDとはモータドライブを付けることができるカメラのことだそうだ。


これが写真との出会いの始まりだった。カメラを買ったら写真を写さねばならないということだ。

 

意識する



意識してシャッターを押さないと写真にならないとしても、いったいぜんたい意識するというのはどんな状態なんだろうか。


孔子さん的に言えば 心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えども其の味を知らず 大学 といった状態だろうが、ここに気づくことや集中することなどを入れてもやっぱりよく分からないのでおしまい。

掌の中の風

 

ルバイヤート  オマル・ハイヤーム

ないものにも掌(て)の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。