ボードレール(複製技術の時代における芸術作品) ヴァルター・ベンヤミン

f:id:tiheisen1839:20200731174652j:plain

ボードレール(複製技術の時代における芸術作品) ヴァルター・ベンヤミン


再読すると、映画や写真を複製することによって、一回性のアウラが消えるというような話ではなく、限界芸術論ではないものの、大衆化によるアウラの喪失があるのかどうか、大衆化(複製化)して、オリジナル幻想がなくなった芸術というものはどこへ行くのかという議論だった


しかし、前にも書いたけれど、芸術作品が複製化されたらアウラがなくなるとは書いていない(たぶん)し、映画の話はよく分からなかったがこの文章のメインで、写真論として分類されていることが多いが写真は添え物で言及はほとんどないので、ご注意を。


ここで勝手に写真に関して言えば、後光のさすような写真は複写したものであろうと、サイズを変えようがオーラは消えないだろう、そのあたりが写真の面白いところだし、「写真小史」も含めてそこに目を付けたベンヤミンさんの発想のすばらしさがこの本がいまだに読み続けられる理由だろう。


「大衆が母体となって、現在、芸術作品に対する従来の態度の一切は、新しく生まれ変わっている。量が質に転化している。」p104