現代アート写真原論 後藤繁雄ほか

f:id:tiheisen1839:20190628183815j:plain

 

現代アート写真原論 後藤繁雄ほか


まず、中心となっているのが、3人の賢そうな対談(世間話)と、3本のエッセイであるにもかかわらず、タイトルをその時代のスタンダートな理論(写真にそんなものはない)を示すであろう原論と名づけるのは知的欺瞞ではないかと思いました。


インスタグラムやなんやらのメディア(媒体・乗り物)の話をまくらにしているにもかかわらず、内実はドイツを中心とした写真業界のヨタ話がほとんどで、例えば、今までなかった写真の大量消費時代に写真の何が変わったのか、何が変わらなかったかなどには、あまり言及されていないように見えました。


そして、「コンテンポラリーアートとしての写真」なんですが、これは私見ですが、美術館やギャラリーに鎮座している写真や、マーケット(がないのが問題かもしれないが)で売り買いされているものだけが写真アートではなく、あらゆる写真にはもともとアート性があるのではないでしょうか。なんだか「一切衆生 悉有仏性」のような話ですが、このごろはプレイヤーの増加によってアートや写真という制度が世界のなかで自然解体してゆくなんだか楽しいご時世なので、写真という現象も無名性のなかに解体して行くにふさわしいメディアとして輝き、消えて行けばいいのではないのでしょうか。


変なことを書きましたが、この本に戻ると、著者のみなさんはアート・写真教育やキューレーションなどなどの現場で活躍されておられるようなので、その現場で起っている話を聞かせていただければ、もう少し面白い本になったのではないかと思いました。